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2010年3月12日 (金)

書籍出版社の数理(2)―出版なめてんのか?

・「出版を何だと思っているんだ!」

 ここまで読んで、ギョーカイの方は「書籍出版を何だと思っているんだ!」と、少しムッとされたかもしれません。前回述べたようなことは、経済学の本や経営に関する本にも載っている経営の常識です。たしかに、売り上げを安定化させることで長期的に見た収益が向上するというのは本当のことでしょうし、普通の製造業などには比較的簡単に当てはめられるのかもしれませんが、それがどんな業界でも簡単にできるのなら、苦労はありません。

 出版業界に身を置く者なら誰でも肌で感じるとおり、出版業は売り上げの安定化がさまざまな理由でしづらい、あるいは意味を持ちにくい業界です。その理由を整理すると、 

  • 出版の社会的役割や使命が、安定化の志向と矛盾する場合がある
  • 書籍の売り上げの確率分布の仕方が、安定化を阻んでいる
  • 出版の業界構造が売り上げの安定化の意味を持ちにくくしている

というようなことが考えられます。これら三つについて検討し、本当の問題は何なのか、完全な安定化以外に次善の策はあるのかを探っていくことにしたいと思います。

・出版の社会的役割が、安定化の志向と矛盾する場合がある

 出版の役割の一つに、「ある考えや表現をより多くの人たちに効率的に伝達する」ということがありますが、売り上げの安定化ばかりを目指すと、これができなくなってしまいます。先にあげた「売り上げを伸ばすチャンスをあえて見送る」というような極端な戦略の場合は明らかに、この役割と矛盾します。売り上げを安定化させるためには、毎年、大学やカルチャーセンターで教科書として一定数の採用が見込まれる本ばかりを作るという方法もありますが、どの会社もそうできるわけではありませんし、出版にはそれ以外にも社会的に要請される役割がたくさんあります。

 もちろん、会社がつぶれてしまっては社会的役割も何もありませんから、何らかの方法で経営を安定化させ、会社の持続可能性を追求する必要があります。しかし、売り上げの安定化だけを最優先することはできないといえます。

・書籍の売り上げの確率分布の仕方が、安定化を阻んでいる

 さて、ここでこの「書籍出版社の数理」の核心に、少し入ります。

 書籍の売り上げを数学を使って考える方法として、本がどのくらい売れるかを確率で考えるというものがあります。といっても、ある特定の本がどのような売れ方の確率を持つかは、ごく限定的にしかわかりません。そういうことではなくて、過去に出た膨大な数の本のうち、たとえば3000部売れた本が何冊あって、100万部売れた本が何冊あるか、といった統計をとり、そこから書籍というものの売り上げの確率が一般的にどのような性質を持つかを研究するのです。

 このような研究の結果は本当に驚くべきものです。書籍の売り上げの確率は、どんなギャンブルよりもずっとばらつきが大きく、不安定なものであることが明らかになるからです。

 普通のギャンブルであれば、プレイヤーは一時的に勝つことがあっても平均的には必ず負けますし、カジノ経営者が間違いなく勝つようになっています。しかし、書籍出版というギャンブルはあまりにも確率の分布のばらつきが大きく、たとえるなら、プレイヤーが大勝してカジノが破産するような極端な出来事の確率が無視できないくらい大きくなるのです。

 たとえば、コインを100枚投げるゲームを考えて見ましょう。このとき平均としては50枚が表になります。確率の計算によれば、この平均値からずれて、65枚以上が表になるような極端な出来事の確率は、ほとんどゼロであることがわかります。このように、普通の確率では、たくさんの事象が発生するとき、それらを足し合わせれば平均的な値をとることが多く、平均値から大きくずれるような、極端な出来事が起きる確率はほとんどゼロになります。このおかげで、カジノ経営者は必ず儲かるのですし、生命保険会社も損をしないというわけです。

 しかし、書籍が従う確率の法則ではそうはならないのです。書籍出版社の売り上げの平均値というものを考えて見ましょう。日本の年間の書籍の売り上げ総額は9000億円程度(店頭価格ベース)で、年間8万点程度の新刊が出ます。ここでは仮に、書籍売り上げのうち、70%が新刊によるものだと考えてみましょう。まあ、それほど無理のない仮定でしょう。すると1点あたりの売り上げ金額の平均値は787.5万円になると考えられます。だとすれば、ある出版社が年間100点の新刊を出したとき、平均的には7億8750万円(店頭価格ベース)の売り上げが期待されることになります。が、実際には、ここから大きくずれる可能性が驚くほど高いのです。この平均値の何倍もの売り上げが得られるような極端な出来事の確率も無視できないくらいありますし、2割減、3割減という逆の意味で極端な出来事の可能性も決して少なくありません。つまり、書籍販売の場合、平均値は、代表的な値としてはまったく役に立ちません。

 早い話が、書籍の出版社の売り上げは、ベストセラーが出るかどうかで大きく左右されてしまい、平均値から大きく外れやすいということです。このことにより、売り上げを安定させるのが非常に難しいのです。

 このような非常に大きなばらつきを持つ確率の正体は「べき分布に従う確率」といわれるもので、一般のギャンブルなどが従う「正規分布に従う確率」とはまったく違う性質を示します。このべき分布に従う確率が、出版社経営のリスクマネジメントにおいても大変重要です。この恐ろしいまでにワイルドな確率のばらつきをどのように将来予測の中に取り入れていくかが、課題なのです。これについては、またあとの回で詳しく触れます。

・安定化が意味を持ちにくい出版業界の構造

 さて、前回、例にあげた「目の前に売り上げを伸ばすチャンスがあってもあえて見送るという戦略」についてもう一度考えて見ましょう。この戦略が正しいのは、売り上げを伸ばすために人員やシステムなどの生産能力を増強しなければならず、これが固定費の増大につながるからでした。しかし、固定費が増大しない形での売り上げ増大策は、穏健な範囲内で行ったほうが合理的だといえます。たとえば、短期的なアルバイトを雇う費用や、増刷をかける際の印刷製本代などは、一時的なものにすぎず、もしうまくいかなかったとしても、そのときかかったお金以上の金額が損失になることはありません。支出が穏やかな範囲のものであれば、実行するべきでしょう。

 ここで特筆すべきなのは、出版業界の場合、一時的に需要が集中し、それに対応する必要が生じても、そのことが原因で固定費増大は必ずしも起こらないということです。そういう仕組みが、業界内に存在しているのです。流通と製造(印刷・製本)がアウトソーシングされているので、売れている本の売り上げをさらに伸ばす際、出版社には固定費の増大をともなうような人員やシステムの増強がほとんど必要ありません(すくなくとも、売り上げ額に比例して増やすような必要は生じません)。この点を考えれば、需要があっても売り上げをあえて低いままにしておくという戦略には、メリットはありません。
 書籍出版の場合、営業組織の人員を増大させるのは、ベストセラーが出て売り上げが増えたことに対応するためではなく、発行タイトル数が増えることに対応する場合や、新ジャンルへの展開を図る場合です。発行タイトル数が増えれば、売り上げも増える場合が多いので、「売り上げに対する営業人員の必要数」は比例するかのように思われますが、必ずしもそうではありません。

・じゃあ、何が問題なのか?

  ということは、どういうことでしょうか? 需要増に対応するためのコスト増は、書籍出版の場合、生じない。需要増が直接的に固定費増に結び付かないのなら、前回議論したもう一つの問題、「売り上げの変動が予測できないので、お金を適切に使うことができない」ということが、本当の問題のように思えます。

 そのうえ、書籍出版では売り上げの安定だけを最優先することはできないし、そもそも書籍販売の確率分布が売り上げの安定を阻んでいるので、書籍出版社は売り上げの変動をある程度受け入れるしかない。にもかかわらず、変動がどのくらいの規模で起こるのか、予測できない。つまり、リスクを評価できないので、お金の使い方もうまく決められない、というところが問題なのではないでしょうか。

 具体的な例で考えてみると、ピンとくるかもしれません。

 よくあるのが、ベストセラーで得たお金を元手に、新規事業を立ち上げるようなパターンです。新規事業は多くの場合、ハイリスクなのでうまくいかないのは珍しいことではありません。その上、本業の書籍出版の売り上げは不安定なので、しばらくすると必ず、ウソのような売り上げ減の年がやってきます。そうなると、「あの金があったら…」となるわけです。

 そのほかによくあるのが、広告や新規企画開発に、儲けた金をつぎ込むパターン。 また、新ジャンルへの進出を決定して、新しく編集者や営業部員を雇うことで固定費が増大するということもあるでしょう。

 冒険をするのが必ずしも悪いことではありません。でも、書籍出版社の売り上げの変動にどのくらいのリスクがあるのかわからず、どのくらいの金を取っておくべきで、どのくらいの金を投資に回していいのか、正しく評価できなければ相当に危険です。目をつぶって高速道路を走るようなもの、かもしれません。

  好調な売り上げが一時的な幸運なのか、それとも恒常的に続くものなのかは、たしかに判定しづらいものです。経営側の心理としては、ベストセラーが出た直後は過信に陥りやすく、結果的に、固定費の増大を招くような冒険をしてしまいがちです。これが、いわゆる「ベストセラー病」の原因でしょう。

 もしこのとき、ある程度客観的に、「現在の好調な売り上げがどのくらいの確率で起こったものなのかを判定する方法」があれば、とても便利なはずで、上記のような過信を防ぐことができるでしょう。逆に過度に慎重な態度に陥ることも、防げるかもしれません。この「書籍出版社の数理」では、この方向での解決法を探っていくことになります。

まとめ

  • 出版の社会的役割を考えれば、売り上げの安定化の追求には限界がある
  • 書籍の売り上げの確率分布の性質により、安定化は非常に困難
  • 書籍出版の場合、売り上げの安定化で固定費を抑制する効果は少ない
  • ある額の売り上げが得られる確率がわからないことが、本当の問題である

 

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