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2010年5月 4日 (火)

書籍出版社の数理(5)―「売れる本こそ神、売れない本はゴミ」というあまりに厳しい現実を直視せよ

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 本の売り上げの分布は、ほぼべき分布に従いますが、上の図に示したように、べき分布と正規分布では非常に形が違います。普段、私たちは、正規分布的な世界に慣れ親しんでいると言えるでしょう。よく例に出されますが、人間の身長の分布などは、ほぼ正規分布に従いますし、そのほか、多数のコインを投げて表が出る枚数なども正規分布に従います。しかし、べき分布の世界では、正規分布的な世界になれた頭では理解しがたいようなことが起こります。本の売り上げについて、べき分布がどういう意味を持つか、何回かに分けて考えてみたいと思います。


・独り占めがひどすぎる

 べき分布にはいくつか特筆すべき特徴がありますが、その中でも最も大きいのは、非常に不平等な分布で、一部のものがほとんどの富を独占するというところです。本の売り上げもその典型です。今回は、売り上げの不平等さについて考えます。

 さてその前に、ここで日本の書籍市場の数字を一覧にして、よく見てみましょう。

  • 年間に流通するタイトル数  500,000タイトル程度
  • 年間に発行されるタイトル  75,000タイトル程度
  • 年間に売れる書籍の数   700,000,000部程度
  • 年間ベストセラー1位の売れ部数  2,000,000部程度

 日本では年間に7億部の本が売れるのですが、そのうち、ベストセラー第1位はだいたい200万部くらい売れることが多いわけです。したがってベストセラー1位のシェア占有率は、7億分の200万で、0.29%ということになります。

 よく考えてみると、これはけっこうすごいことです。ベストセラー1位を取ったタイトルは、年間流通する50万タイトルのうちの一つ(50万分の1=0.0002%)に過ぎず、新刊7万5000タイトルのうちの一つ(0.00133%)に過ぎません。それが、書籍売り上げ全体の0.3%=約300分の1を占めているのですから、上位タイトルによるかなりな独占が起きているということになります。

 この上位商品による独占に関して、マーケティングの世界では、よく80:20の法則などという言葉が使われます。これは、売り上げランキングの上位の20%のもの(たとえば100点のうちの売り上げ上位20点)が、全体の売り上げの80%占める(たとえば1億円のうちの8000万円)という意味です。 しかし、書籍の売り上げの場合では、80:20の法則なんて、まったく甘いといわざるをえません。書籍売り上げの世界では1.5:50(上位1.5%で全体の50%を占める)とか、10:85(同じく上位10%で85%を占有)、あるいは20:95(上位20%で95%を占有)というような、上位商品による恐ろしいまでの独占が存在するのです。

 上位タイトルのシェアは非常に重要な、出版界の重要な統計数値だと思われますが、これまでまったく調べられてこなかった(あるいは、秘匿されて表に出なかった)ようです。それを日販との共同研究で調べたのが慶応大学の井庭崇教授らで、上記の数字はその研究からのものです。大規模に書籍の売り上げの分布を調査した研究は世界的にもあまりなく、少なくとも日本の書籍市場に関しては、慶応大学の井庭崇教授らの研究が唯一のもののようです。占有率のほかにも興味深い結果がありますので、是非一度目を通すことをおすすめします(出典は最後に示します)。

  大事なことなので、井庭崇教授らの結果をもう一度、一覧にしてみます。

  • ランキング上位1.5%のシェア  約50%
  • ランキング上位10%のシェア  約85%
  • ランキング上位20%のシェア  約95%

 井庭教授らによれば、上位1.5%のタイトルによって、市場の半分が占められているとのことです。具体的にいえば年間に流通する約50万タイトルのうち、8300タイトルほどで、年間に売れる7億部のうち、3億5000万部ほどが占有されていることになります。

 つまり、本の売り上げというのは、数字で見ても、売れるものがひたすら売れ、売れないものはまったく売れないという、超格差社会です。勝者がすべてを持ち去る(Winner-takes-all)と、言うわけです。

・やっぱりロングテールなんて嘘っぱち

  ということは、どういうことか。いろいろと示唆的な結果なので、考えが膨らみますが、まずは、ロングテールの話に対して、疑問がわいてきます。

 しばらく前、ロングテール型でやってるアマゾンなどのビジネスがすごいなんて、いま『FREE』が売れているクリス・アンダーソン氏は言ってましたし、その通りだと追随する意見も多くの日本人の方々から出ました。あのころは、実際には調べてもいない書籍の売り上げ分布を「何となくこんな感じでしょ」とグラフに示し、ふんわりした議論でやってました。しかし、この井庭崇教授らの研究を見ると、非常に厳しい現実を目の当たりにすることになります。

 まあ、このデータを見れば、少なくとも、売れない商品をかき集めてそれでもって売り上げを上げるという手法は、書籍販売においてはまったく無理だと言うことが、はっきりします。上位の20%の売り上げが、95%を占めるのですから、ロングテールなんて話になりません。だって、残りの売り上げ下位の80%(40万タイトルに相当)を在庫しておいても、売り上げの5%にしかならないのですから。 これじゃあまりに報われなさ過ぎます。

 アマゾンが下位の商品をある程度在庫しているのは、そこから直接的な利益を得るためではないということは明らかです。レコメンデーション機能の効果を高めたり、 書店としての評価を高めようとしているに過ぎないのでしょう。普通の書店が品揃えを気にするのと、同じことです。たしかに、アマゾンはリアル書店よりも、下位商品を在庫しておく際のコストが少ないでしょうが、でもやっぱりコストはかかります。もし、アマゾン利用者全員が、ランキング下位の商品だけをアマゾンで買い、ベストセラー商品は近所のリアル書店で買うという行動を取ったら、早晩、アマゾンはつぶれるでしょう。アマゾンもやはり、売れ筋商品によって売り上げのほとんどをあげているのです。さらに利益について言えば、すぐ売れて1点あたりのコストが少ない、上位商品によってそのほとんどをあげていることは間違いありません。利益に関する独占比率は、上に示した「1.5:50」よりももっときついのではないかと考えられます。下位商品のひどいものについては、単品で見れば、在庫することでけっこうな赤字が出ているはずだからです。

・ベストセラーのインパクトが強すぎる

 このように考えると、こと売り上げということについて考えれば、上位のものだけが重要で、下位のものはほとんど売り上げに貢献することはできないことがわかります。実質的には、9割方のタイトルが、売り上げに貢献できないか、あってもなくてもほとんど影響のない本です。さらにいえば、ランキング下位の赤字タイトルの数も相当なもので、これが書店や出版社の重荷になっていることが納得できるでしょう。このことは、業界にいる人間ならつねに肌で感じつつも、なるべく見ないようにしている事実だと思います。これから本を書こうとしている人などに「普通、本ってどのくらい儲かるものなんですか?」と聞かれることがありますが、「普通」というのが中央値のことだとすれば、「まあ、普通、本は儲かりません。普通の本は赤字ですよ」と答えることになるでしょう。

 その一方で、上位のタイトルのインパクトは、想像を絶するほど強力なものです。

 出版業界の方は、年末に出る、日販やトーハンのベストセラーリストや、業界の売り上げ推移などのデータをご覧になるでしょう。そういったなかで、「今年はハリーポッター並みのダブルミリオン級のベストセラーが少なかったので、書籍販売は対前年比で落ち込んだ」などという表現を目にすることがあると思います。これを見て、「たしかに、ベストセラー1位はすごいけれど、たった1タイトルのベストセラーが年間9000億円程度の書籍市場の浮沈に影響を与えるほど、インパクトを持つのだろうか」と疑問に思ったことはないでしょうか。

 しかし、上でやったような簡単な計算から、200万部の本が1タイトル出るかどうかで業界全体の売り上げが0.3%程度は浮き沈みしてしまうことがわかります。

 ましてや、一つの出版社にとって、ベストセラーが出るかどうかは大きな影響を与えます。市場全体がそうであるのと同じように、たいていの出版社の年間売り上げは、新刊タイトルのうち上位の10%程度で、売り上げの半分以上を占めていることでしょう。何かのトラブルで、年間の上位10%のタイトルたちが出版されていなかったら、その会社は相当にまずい状態になることでしょうし、そういうことは、往々にして起こります。そして、そういうことが起きうる確率を求めるのが、以前に示したモンテカルロによるシミュレーションなのでした。

 しかし、何でそんな、モンテカルロ法などというまどろっこしいことをしなければならないのでしょうか(自分で提案しておいてなんですけれど)。保険会社などもリスクの判定をしていると思いますが、一般的な統計学に基づいた、もっと別の方法を使っているはずです。わたしも、モンテカルロ法以外にもっと簡単な方法があれば、それを提案したのですけれど、どうもそれでは無理だという結論に達したのでした。

 次回は、そのあたりに焦点を当てたいと思います。

 

*参考にした文献は、 井庭崇ら「書籍販売市場における上位タイトルの売り上げ分析」情報処理学会研究報告、2007年5月17日、です。井庭崇教授のブログから当該論文のPDFが見られます。下記URL参照のこと。

http://web.sfc.keio.ac.jp/~iba/sb/log/eid3.html

 

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