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2010年6月

2010年6月15日 (火)

書籍出版社の数理(8)―出版社同士の競争は激しいのか?

●出版社のシェアに関するデータは、けっこうオープンになっている

 前回、次は電子書籍のことについて書くと言いましたけれど、やっぱりやめて、出版社同士のシェア争いのことをテーマにしたいと思います。

 これまで、ちょっとずつ、折に触れて述べてきましたが、書籍出版のことをデータで論じようとしても、データがあまりないという問題があります。公になっているデータが少ないし、インサイダーなら入手できるデータでも公にしてよいものがあまりないので、具体的な話がしづらいのです。しかし、出版社のシェアに関するデータは、結構おもしろいものが、オープンになっています。

 その1つが、毎年発行される『出版年鑑』に掲載されている「全出版社売上額順位とその内訳(書籍雑誌およびその他総合計)」という統計です。これは、取り次ぎから出版社に支払われる金額をもとに統計を取ったもののようです。

 日本全国に出版社は4055社(2007年)あると言われており、ほかの業種と比べれば、寡占とは無縁な業界だと、思われているかもしれません。私も、この統計を見るまではそう思っていました。しかし、そうでもないんです。

 この統計によれば、出版も、上位による寡占がそれなりにあることがわかります。同書によれば…

 上位5位までの売り上げ占有比   21.1%
 上位50位までの売り上げ占有比  51.8%
 上位100位までの売り上げ占有比  64.0%
 上位150位までの売り上げ占有比  71.6%
 ……
 上位300位までの売り上げ占有比  82.5%
 ……
 上位500位までの売り上げ占有比  89.2%

でした(『出版年鑑』2009年版による2007年のデータ。ただし、同書は占有比の計算を間違って記載していたので、計算し直しました)。上位5社で2割を取っているなんて、思っていたより、ひどいです。といっても、それだけ規模も大きいのですから、仕方ないかもしれませんが。

 まあ、これだけでも結構おもしろいデータだと言えます。でも、もっとおもしろいデータが、公になっているのです。

 それは、ジュンク堂書店の「売り上げベスト300社」というデータです。これはジュンク堂で、一年間に各出版社の本(ISBNがついた書籍。雑誌・漫画は含まない)がどのくらい売れたかを公表したもので、『文化通信』という業界紙に掲載されます。最近では、2009年1~12月のデータが、『文化通信』の2010年1月25日号に載りました。
 
 これには、出版社名とその売上金額、売上数量、昨年比の増加率が示されています。冒頭の部分だけを紹介しますと…

         売上金額(円)   売上数量(冊)
1 講談社        1,906,352,594   2,355,264
2 集英社        1,043,594,267   1,808,071
3 小学館        1,024,388,225   1,380,889
4 角川グループ     990,000,339   1,314,997
5 新潮社        812,360,933   1,046,607
6 学研        580,673,586   485,182
7 岩波書店        527,094,894   476,648
8 文藝春秋       475,760,487   582,117
9 幻冬舎        404,220,954   465,998
10 ダイヤモンド社 399,098,111   239,701

のような感じになります(そう、1円単位まで出ているんです!)。これが、ずっと、300位まで続いて表示されています。『文化通信』の記事によれば、300位までで、ジュンク堂の売り上げのうち72.3%を占めるそうです。このデータには漫画や雑誌が含まれていないので、上記の『出版年鑑』の300位までの占有比とは数値がかなり異なります。漫画や雑誌は大きい出版社の方が盛んに出しているので、その分をシェアの計算に含めると、上位の占有比は大きくなるのだと思われます。

 ちなみに、ジュンク堂は書店チェーンとしては業界第5位で、一般書店ルート(コンビニや生協、キヨスクなどを除いたもので、書籍雑誌販売全体の66%を占める)での書籍雑誌販売のうち、2.8%ほどを占めています(『出版年鑑』2009年版の統計から算出)。書籍出版界全体を表すデータとして、十分な規模を持っていると考えていいでしょう。

●このデータで、パレート図を作ってみよう!

 さて、このジュンク堂のデータを使うと、パレート図を作れますし、パレート指数を求めることができます。

 パレート図とは、順位とその値をグラフにしたもののことを言います。業界シェアや売り上げなどを1位から順にプロットしていくわけですけれど、これは、多くの場合、べき分布になることが知られています。ですから、縦軸も横軸も対数でプロットすると直線になります。

 また、パレート図の縦軸と横軸を入れ替えると、累積確率分布の図になります(ちょっとややこしいですが、そうなるんです)。このようにして求められた累積分布(縦軸も横軸も対数表記)のグラフから傾きを求めると、確率分布がべき分布になっている場合には、累積確率分布の指数の絶対値=パレート指数を求めることができます。

 このパレート指数は、その業界でどのように競争がされているかを調べる上で、有力な情報源となると考えられているようです。
 
 まあ、細かいことは後回しにして、とにかく、ジュンク堂のデータをプロットしたものをお見せしましょう。

 まずは、パレート図からです。

 

Photo

 ごらんのように、まあまあ直線ぽくなることがおわかりになるかと思いますが、よく見ると、50位くらいのところに屈曲があるようにも見えます。

 パレート図の縦軸横軸を入れ替えて表記したのが、累積確率分布のグラフです。今回は便宜上、300位までを100%と考え、プロットすることにしました。それが以下のものです。

 Photo_2

それぞれのグラフで、フィッティングを行い、その傾きがわかるように描き込んであります。
フィッティングの結果、パレート指数の値は以下のように求められました。

 全体に対する累積分布のパレート指数         1.01
 50位までに対する累積分布のパレート指数      1.75

 このように、書籍の出版社ごとのシェアの分布では、上位300位を見ると、パレート指数はほぼ1のようです。多くの国で、全企業の売り上げの分布などを調べてみても、パレート指数は1になることが知られています。これをジップの法則というそうです。

 一般的には、この値が1より小さいと、寡占が進んでいることになります。分布の傾きが緩いと言うことは、売り上げの大きい企業が、より多く存在することになるからです。このような事態は、強者が優先的な地位を利用して公正な競争を邪魔している状態とも考えられますが、高安秀樹著『経済物理学の発見』によれば、別の解釈ができるそうです。同書によれば、その分野が全体的に成長中で、先行して参入していた企業や技術的に競争力がある企業が優位に立って他に先んじて大きく成長した場合に、パレート指数が1を下回るそうです。これは、ITなどで伸びしろがある電機関連業界に、見られるそうです。

 逆に、パレート指数が1より大きい場合は、比較的平等に売り上げが分配されていることになります(あくまで比較的、です)。これは、同書によれば、その分野が減衰していて、パイが小さくなっていくような場合にあたると考えられるようです。この状態は、不動産業や建築業の分野などで見られると言います。

 パレート指数が1というのはその中間、成長も減衰もしていない中間的な状態にある業界で見られるそうです。

 以上のことは自明なことではありません。いろいろと、シミュレーションしたり、さまざまな業界のパレート指数を比較して、得られた知見だと思います。もしかしたら、べつな解釈も考えられるかもしれません。しかし、上記のような解釈が、出版社同士の競争にも当てはまるとして、さらに、グラフ上に50位くらいのところで見られる屈曲が、偶然ではなく本当に何かを示しているのだとしたらどうでしょうか?

 書籍出版業界は、全体として縮小の傾向にあります。しかし、その影響はとくに大規模出版社の領域で顕著なのかもしれません。そして、中小零細の出版社では、全体のパイはそれほど変わっていないのかも…? 本当のところはまだわかりませんが、興味深い手がかりではないでしょうか。

 このジュンク堂のシェア統計は毎年発表されているので、各出版社の順位入れ替わりの調査もできますし、先ほどのパレート指数の年ごとの変化なども調査するとおもしろいと思います。そうすれば、衰退しつつあるこの業界の将来について、何か知見が得られるかもしれません。ぜひ、経済物理学などがご専門の方々には、研究していただきたいテーマですね。

2010年6月 6日 (日)

書籍出版社の数理(7)――しかし本当に、書籍出版社と保険会社は似ているのか?

 前回の続きです。今回は、書籍出版社と保険会社の違いについて、考えてみましょう。

●保険会社はたくさんの加入者を集めることで、リスクを低減している

 さて、保険会社と書籍出版社が確率的な事象をどのように扱っているか、という疑問を投げかけて、前回は終わりました。まずは保険会社が確率を扱う方法とは、どのようなものなのか、見てみましょう。

  保険会社は、まず、生命表(各年齢の人が次の誕生日まで生き延びる確率や、平均してあと何年生きられるかを表にしたもの)に代表されるような各種統計から、保険の対象となる事象が起こる確率を詳細に調べます。 そして、ここからが説明を要するのですが、一言で言えば、「保険加入者をたくさん集めて、『中心極限定理』により、リスクを軽減」します。

 保険を含む金融の世界で、「リスク」とは予測値からのズレの大きさをいいます。ここでは例として、生涯に10分の1の確率で発生する成人病を対象とした保険を考えることにしましょう。保険会社は、その成人病にかかった保険加入者に、治療費として保険金100万円を支払わなければならないとします。このとき、保険会社は保険の掛け金をいくらに設定すればいいでしょうか。

 保険会社が100人の加入者を集めて、1人ずつから掛け金を11万円もらったとすれば、掛け金の合計は1100万円になります。病気になる確率は10分の1なので、保険会社が支払う保険金の予測値(期待値)は、加入者が100人の場合は1000万円。予測通りにいけば、1000万円支払っても、100万円が手元に残るので、これが保険会社のもうけになります。

 しかし、10分の1というのはあくまでも確率なので、加入者100人のなかから、たまたま15人の罹患者が出るかもしれません。そうなったら、保険金を1500万円支払わなければならなくなり、400万円の赤字になってしまいます。金融の世界では一般に、このような「予測値からのずれ」のことをリスクと呼びます。彼らの立場からすれば、予測から値がずれることによって、利益が予測通りに得られないことになるので、このことをリスクと呼ぶのもうなずけるでしょう。

 また、成人病保険の例でいえば、可能性としては100人のうち1人も病気にならないということもありえます。この場合の「予測からのずれ」は保険会社に思いがけない利益の増大をもたらしますが、このように「よい方向へのずれ」も、金融の世界では同様にリスクと呼ばれます。

 保険会社としては、このリスクを何とか小さくしたいところです。リスクを小さくするためにはどうすればいいでしょうか。経験的にもわかるように、保険加入者の数が少なければ、予測値からのずれが大きくなる確率は高くなります。しかし、加入者の数をもっとずっと大きくすれば、予測値から大きくずれる可能性は急激に小さくなります。10分の1の確率でかかる成人病に、100人のうち15人がかかる確率はそれなりに大きいかもしれないですが、1000人のうち150人がかかる確率はずっと少ないでしょうし、1万人のうち1500人がかかる確率はさらにずっと少ないはずです。

 このように、保険の加入者数が増えると、保険会社にとってのリスクが減ることは、直観的に推測できますが、数学的にはっきりと示すこともできます。それだけでなく、どのくらいリスクが減るのかさえも、きちんと計算できます。そのおおまかな理屈は次のようなものです。

 一般に、平均からのずれの生じやすさ=ばらつきは、「標準偏差」であらわされます。標準偏差はいわば「平均からのズレの大きさの『平均』」のようなもので、確率の分布の仕方がわかっていれば、多くの場合、簡単に算出できます。金融の世界でリスクの話をする場合、リスクの大きさを標準偏差の大きさで表すことが普通です。つまり、標準偏差が大きければ、リスクが高い=平均からばらつくことが多いということになります。

 そしてその標準偏差の大きさ=リスクの大きさは、たくさんの数を集めて集計すればするほど、相対的に小さくなっていくことが知られています。具体的にいえば、集計する数(統計学の用語では「標本数」という)をnとしたとき、罹患者数の期待値(予測値)からのずれを表す標準偏差は、nの平方根(√n)に比例します。つまり、成人病保険の例で言えば、加入者1万人の場合の罹患者数の標準偏差は、加入者100人の場合の10倍(1万/100の平方根)にしかならないので、相対的に小さくなるのです(保険加入者から集めたお金は100倍になるのに、リスクは10倍にしかならない!)。具体的には、加入者が1万人の場合、罹患者数の期待値は1000人で、標準偏差は30人と計算されます(標準偏差の計算の仕方は「中国あり得ない!の件」を参照のこと。z値を求める式の分母が、標準偏差に相当する)。

 さらに重要なことなのですが、このように加入者数が多くなると、罹患者数の確率分布はかなり素直に「正規分布」で近似できるようになります。そうなると、平均からのズレを確率で表すことができるようにもなります。正規分布で平均からのずれがある大きさになる確率は、簡単に計算する数式があり、すでに詳細に計算されてたいていの統計学の本の巻末に一覧表となって掲載されているからです。たとえば、平均から標準偏差ひとつ分より大きく上にずれる確率は約15.9%、標準偏差二つ分以上、上にずれる確率は約2.3%です。

 したがって、いま問題にしている成人病罹患者数が平均からズレる確率も計算できます。

 加入者1万人で罹患者数が平均から標準偏差1つ分の1030人を超える確率は約15.9%、標準偏差2つ分の1060人を超える確率は約2.3%であることがわかります。つまり、罹患者数が期待値の1.5倍である1500人に達する確率はほとんどゼロとみなしてよいくらい小さいと結論できます。加入者100人の場合に比べると著しくリスクが低下するのです。この仕組みで、保険会社は加入者を増やすことによってリスクを低減しており、皆さんご存じのように、この仕組みは大変うまくいっています。あとは、罹患率10%でうまく回るように保険料を設定し、魅力的なタレントを使ってCMを打てば……、まあ損をする心配はありません。

●出版社が保険会社と同じようにリスクを低減できない理由

 では、書籍出版社が確率を相手にする場合とき、何が起こっているでしょうか。出版社にとって、保険会社が加入者を増やすことに相当するのは、ある一定期間に多数のタイトルを出版することです。書籍出版社も、保険会社と同じ戦略をとり、たくさんのタイトルを出版すれば、リスク(標準偏差)が減り、年間売り上げが平均からずれる確率が低くなって、売り上げは安定するでしょうか?

 これまで繰り返し述べているように、書籍の売り上げの確率は、ほぼべき分布に従います。これが、非常に問題なのです。

 保険会社が、たくさんの加入者を集めることでリスク(標準偏差)を軽減できたのは、「中心極限定理」のおかげです。中心極限定理とは、簡単に言えば、上で述べたように、「たくさんの加入者が集まると平均値からずれる確率が低くなる」ということなのですが、 これをもう少し厳密に言うと、次のようなことになります。

 「ある確率事象によって決まる値が、平均値μと標準偏差σを持っていて、各試行が独立であるとき、それらをn個足し合わせたものは、nが大きくなるほど正規分布に近づく。その正規分布の平均はn×μ、標準偏差はσ√nとなる」

 この言葉の後半は、上で言っていることをむずかしく言い直していると考えていただいてけっこうです。問題は前半部分。中心極限定理によって、加入者が増えるほどリスクが減るためには、「平均値と標準偏差を持っている」ことが条件なのです。

 ところが、驚くべきことに、べき分布に従う確率事象は、平均値も標準偏差も持っていない(無限大になってしまう)ということが、あり得るのです。このため、べき分布を足しあわせても、正規分布にはなりません。べき分布の足しあわせは、べき分布になってしまいます。

 しかし、平均が無限大になってしまうとは、どういうことでしょうか。ここでは、保険と比較するために、先ほどの成人病の例を引き続き使うことにしましょう。

 先ほどの例では、10分の1の確率で100万円の支払いが発生するとしていました。この場合、支払いの期待値(支払いの平均値)は、100万円×0.1で、10万円です。

 もし、この病気による支払いが、べき分布に従うとしたら、支払額の期待値(平均値)はどうなるでしょうか?

 確率と事象の大きさが、一定の比率になって続いていると、べき分布になります。たとえば、

  • 10分の1の確率で、100万円の支払い
  • 100分の1の確率で、1000万円の支払い
  • 1000分の1の確率で、1億円の支払い
  • 10000分の1の確率で、10億円の支払い
  • ……

というように、確率が低いものの、確率の低減と同じ比率で、支払額が増加するような病気では、支払額がべき分布になっていると言えます。この病気の治療費を保証する保険の場合、期待値はどうなるか、考えてみましょう。

 期待値は、「確率×支払額」の総和ですから、

     期待値=0.1×100万円+0.01×1000万円+0.001×1億円+0.0001×10億円……

         =10万円+10万円+10万円+10万円……

         =無限大

 このように、べき分布の場合、支払額の期待値は無限大に発散してしまいます。

 これを書籍の売り上げに適用して、もう一度考えてみましょう。もし、本の年間の売れ行きの確率分布が以下のようなべき分布だったとしたら、期待値はどうなるでしょうか。

  • 10分の1の確率で1万部が売れ、
  • 100分の1の確率で10万部、
  • 1000分の1の確率で100万部……

この期待値は、「確率×売り上げ部数」なので、

 期待値=0.1×1万部+0.01×10万部+0.001×100万部……

     =1000+1000+1000+……

     =無限大

となり、やはり年間売り上げの期待値は無限大になってしまいます。

 議論は複雑になりますが、標準偏差についても同じように、べき分布では発散することがあることが示せます。

 もう少しちゃんといえば、いつも発散してしまうわけではなく、「上に有界でなく、べき分布の確率密度関数の指数が2以下のとき(=累積分布関数の指数が1以下のとき)、平均値も標準偏差も発散」し、「上に有界でなく、べき分布の確率密度関数の指数が2より大きく3以下のとき(=累積分布関数の指数が1より大きく2以下のとき)、平均値は有限で、標準偏差は発散」します。

 そして、実際の本の売り上げ分布は、確率密度関数の指数が2より大きく3以下(=累積分布関数の指数が1より大きく2以下)です。したがって、平均は有限になるものの標準偏差が発散するという条件に当てはまります。

 このため、中心極限定理によるリスクの低減はできないことになります。書籍出版社は、著者からリスクを引き受けているにもかかわらず、そのリスクを保険会社のようには低減できないのです!

●年売り上げが平均からずれる確率も、書籍の場合、求めるのがむずかしい

  ……えーと、ここで告白しますが、私、いま、嘘をつきました。

 本当の本当は、書籍の売り上げ分布の標準偏差は発散しません。先ほどの、平均や分散が発散する条件のところに、「上に有界でなく、…」と書きました。本の売り上げにおいて、「上に有界でない」とは、1000万部や10億部、1兆部というようなベストセラーが、確率は小さいがあり得る、ということに相当します。

 しかし、実際には、本の売り上げは、500万部を超えることはおそらくないでしょう。本の売り上げは、ほぼべき分布に従うものの、カットオフがあり、有限な範囲に収まるので、標準偏差も本当のところは発散しません。 ですから、たくさんのタイトルを発行すれば、年間売り上げの標準偏差は小さくなってリスクは低減していきます(理論的には)。また、たくさんのタイトルを発行すれば、売り上げの確率分布は、べき分布ではなく、正規分布に近づいていくはずです(理論的には)。

 ここで、一度、以前「書籍出版社の数理(4)――モンテカルロ法で売り上げの確率分布を求める!」で示した、シミュレーション結果の画像を見てください。 これは、50タイトルの本を発行した場合の、出版社の年間売上の分布のシミュレーションです。50タイトルを発行しても、年間売り上げの分布はかなりいびつなままで、正規分布にはほど遠い形です。テール部分の形は、明らかにべき分布のままです。標準偏差も、まだかなり大きいといえます。たしかに、2~3タイトルしか出さない場合と比べれば、リスクは低減していますが、平均値からずれる確率があまりに大きく、保険会社のような安定したビジネスにはなりようがありません。

 たくさんのタイトルを発行すれば、年間売り上げは平均値まわりに収束するのだから、そうすればいいではないか、とおっしゃるかもしれません。もし、たくさんのタイトルを発行し、年間売り上げの確率分布をべき分布ではなく、正規分布に従うようにしようとするのであれば、少なくとも1000タイトルほどを発行する必要に迫られるでしょう。保険会社ならば、保険の加入者を数万人規模で集めることは問題なくできますが、1つの出版社が1年間で発行できるタイトル数には自ずと限界があります。かなり大きな規模の出版社でも年間数百タイトル、中小出版社なら数十タイトルが現実的でしょう。その規模では、売り上げの安定は不可能です。無理矢理たくさんのタイトルを発行すれば、粗製濫造になって、結局売り上げが思うほど上がらなくなる危険もあります。

 売り上げの安定化が無理なら、次善の策として、平均からずれる確率を求めて、備えをすることになりますが、その上でも問題があります。

 保険業界では、確率分布の形が素直な上、かなりの数の加入者を集めることができるため、最終的に足しあわせた分布は正規分布になるので、平均からずれる確率を簡単に計算することができます。

 しかし、書籍売り上げのように、「ある範囲でおおむねべき分布に従うもの」を数十から数百、足しあわせたものは、正規分布にはなりません。どのような確率分布になるかを示す便利な数式も、現在のところないようです。つまり、出版社の年間売り上げの確率分布を近似的にでも、解析的に求める方法はないのです。このため、売り上げの確率分布を求めたかったら、モンテカルロ法によるシミュレーションをするしかありません。

  もっといえば、書籍の売り上げの分布がどのようになっているかという統計は、厚生労働省がまとめている生命表のように、しっかりと調査されていません。というか、まったく調べられていません。たとえば、出版業界の人でも「1年間に、売り上げが1万部を超える本は何タイトルあるか」という問いに答えられる人は1人もいないのではないでしょうか(私も答えられません)。こういう統計が、まったく存在しないからです。こういったことを算出する根拠となるデータは、おそらく大規模チェーンの書店のPOSデータや、日販やトーハンのデータの中にはあるでしょうが、表には出てこないので、誰にもわかりません。また、売り上げの分布は、本のジャンルによっても相当にばらつきがあるでしょう。

  こういったことを考えていくと、書籍出版社が、本の売り上げを確率として扱う上でできることといえば、「自社の過去の売り上げデータを使ったモンテカルロシミュレーション」と、「無理のない範囲でなるべくたくさんのタイトルを出版する」ということくらいなのかもしれません(書籍出版社の売り上げ安定化策については、また別に論じたいと思います)。

 以上のように、出版社は未だに、確率的事象としての本の売り上げを、うまく扱うことができないでいます。逆に言えば、本の売り上げの確率をうまく扱うことができなくても、運良くベストセラーが出てしまえば、会社としては存続できてしまうということだと思われます。確率的な事象にどう対処するかという戦略よりも、売れる本を出すことの方が経営の好転にずっと大きなインパクトを与えてしまうのです。普通なら、行き当たりばったりで運任せな経営では、会社の持続可能性は制限されるはずです。しかし、規模の小さい出版社ではどのみちリスクの低減に限界があるのですから、確率をできる限りうまく扱ったところでその効果はしれています。可能な限り合理的に行動したところで、売れる本が出なければ会社はつぶれてしまうのです。このように出版社の経営は運任せにならざるを得ないところがあるので、いわゆる悪い経営が排除されません。また、よい経営が勝利するとも限りません。ここが恐ろしいところです。

 次回は、電子書籍の登場が何を起こすのかを、今回の議論を元に、あまり論じられていない視点から考えてみたいと思います。

2010年6月 1日 (火)

書籍出版社の数理(6)――書籍出版社は保険会社と似ている、と考えてみよう

 今回は表題の通り、書籍出版社を保険会社と比較します。

 実際のところ、書籍出版社は保険会社とかなり似たようなことをしている部分があります。

 保険会社は、運の悪い人と運のいい人の間で、所得の再分配を行い、その過程でもうけを抜き取るシステムだということができます。火災保険であれば、火事に遭わなかった「運のいい人」から集めた掛け金を使って、運悪く火事にあった人の損害を埋め合わせます。医療保険であれば、病気にならなかった人の掛け金を使って、運悪く病気になってしまった人の医療費を埋め合わせる仕組みです。

 出版社も同じようなことをするシステムであると考えていいでしょう。

 前回に指摘したように、書籍のうち多くのものは、赤字になります。もし、完全な成果主義で考えるのならば、出版社はそんな本の著者に印税を払いたくない、というかもしれません。でも、ほとんどの出版社は、本が売れても売れなくても、初版部数の印税に相当する額を著者に支払っています。多くの場合、初版は売れ残るにも関わらず、です(売れ残った本は最終的に「資源ゴミ」になります)。多くの書籍出版社は、売れなくても、初版印税を保証するシステムを取っているのです。

 出版社は打ち出の小槌ではありません。売れ行きの悪かった本の印税や紙代、印刷代はどうやって支払っているのでしょうか。もちろん、払える分はそれぞれの本からの収入で払いますが、それで足りない赤字分は、売れ行き良好書から得た収入によって、支払っているのです。前回指摘したように、書籍出版社の売り上げは、上位の10%ほどのタイトルにより、半分以上が占められています。つまり、この上位のタイトルから得た収入を、売れ行きの悪い本の著者の印税(それと原価・経費にも)に回していることになります。

 本の売れ行きは、かなりばらつきが大きく、あらかじめ予測することもむずかしいことが多いです。端的に言えば、運・不運で売れ行きは大きく違います。「売れたら払うが、売れなかったら払わない」という完全な成果主義で印税支払いを行うと、著者にとってはあまりにリスクが高すぎて本を書くインセンティブが弱くなり、現在の出版界で恒常化している年間7万タイトルというペースで本を出すことは不可能になってしまいます。そのため、出版社が「最低賃金」を保証することで、ある程度の安定性を著者にもたらしていることになります。もし、完全な成果主義を導入すれば、ベストセラーの著者は今よりもたくさんの印税を得られるようになるでしょう。しかし、現在は、完全成果主義ならベストセラー著者に支払われたであろうお金で、赤の他人が書いた本の印税が支払われていると考えられます。結果的には、出版社は著者どうしの所得格差を縮めるシステムとしてはたらいているのです(そしてその過程でもうけをぬきとり、原価・経費もまかなっています)。

 このように保険会社と出版社は似ていると考えることができるのですが、さて今度は、両者の違いについて考えてみます。

 保険会社も書籍出版社も、保険加入者間や著者間の所得不平等を緩和する過程で、もうけと経費を抜き取っています。そして、病気や火事、本が売れるかどうかが不確実な出来事であることから、保険会社も出版社も、その「確率」をうまく扱う必要に迫られます。そうでないと、もうけどころか経費も支払うことができない状態になるかもしれません。不確実な出来事を元に、加入者や著者にお金の支払いを保証しているのですから、彼らのリスクが減少し、保険会社や出版社のリスクが増大することになります。

  保険会社は、加入者のリスクを引き受けることに、どのように対処しているのでしょうか。

 ……ここまで書いて、このあとが相当長くなりそうなことに気づいたので、この話、分割することにします。

 続きは次回です。

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