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2010年12月30日 (木)

書籍出版社の数理(10)――じゃあ小規模書籍出版社はどうすればいいの?

●書籍市場はどこもかしこも効率的で競争的なのか?

 前回の話を読んで、「じゃあ、小さい出版社はいつか必ずつぶれるのか…」と落胆された方もあるかもしれません。今回は、それを覆すような結論を導きます。

 前回は、出版社の規模には「臨界質量」ともいうべきものがあり、規模の小さい(出版点数の少ない)出版社は持続可能性が低く、長期的には生き残れないだろうということを、モンテカルロシミュレーションで導きました。しかし、一方で、現実には日本の出版社の大多数が10名以下の零細出版社で、それらは今も存続しているという、非常に矛盾する事実も指摘したわけです。

 理由のひとつとして、「出版社」といいながら、不動産業や広告業、自費出版など、商業出版以外の事業からの安定的な収入で支えられている会社は、相当な割合に上るだろうと、考えました。しかし、すべての零細出版社がそうではありません。もっと別な方法で、売り上げが安定している場合も考えられるのではないでしょうか。前回指摘した数理的な予測を覆すような事実が出版界に存在しないと、この現実を説明できません。

 その事実とは、「例外的にべき分布に従わない、安定的な売り上げを確保できるタイトルが存在する」ことだと考えられます。もし、書籍市場がどこもかしこも完全に効率的で競争的なら、そういうタイトルはすべて多数のライバルに狙われるはずなので、結局はべき分布の売り上げ確率の中に引きずり込まれるはずです(ベストセラーが出ると、情けないことに類似企画が山のように刊行されますが、ああいうことが書籍市場のあらゆる場所で起こるという意味です)。でも、現実には古典派経済学者が言うほど、市場は効率的でも競争的でもないのかもしれません。

 今回は、「参入障壁が高い出版物を発行しているせいで、自然な独占・寡占になっている」とか、「定期刊行物的な書籍でかつ固定読者があるために売り上げが安定しているタイトルがある」などの理由により、べき分布に従わないような安定的な売り上げを得ている小規模書籍出版社の例を考えてみましょう。

●売り上げが確実に見込めるタイトルがあると安定性は著しく高まる

 小規模出版社でも売り上げが非常に安定している会社は、少なからずあります。大学や専門学校などの教科書を作っていて毎年の採用が見込まれる会社、古典的名著などの定番商品が一定数売れ続ける会社、あるいは年刊・季刊などの準雑誌的な書籍を発行していてその売り上げが非常に安定している会社、または熱心なファンがついている作家の作品を定期的に発行している会社などが考えられます。このような安定的な売り上げのタイトルがラインナップにあるかどうかで、出版社の安定性はどの程度変わるのでしょうか。

 今回も、これをモンテカルロシミュレーションで検証していきます。

 年間発行タイトル数が50点の書籍出版社を考えます。出版物の売り上げの確率分布は、基本的にべき分布に従いますが、中に何冊か、必ず1万部売れるタイトル(以後、これを「1万部確実タイトル」と呼ぶ)をもっているとします。発行50タイトルのうち「1万部確実タイトル」が増えていったとき、年間売り上げの確率分布はどのように変化するでしょうか。

 シミュレーションしてみました。以下に、1万部確実タイトルが50タイトル中に0点から5点存在する場合の売り上げ分布を示します(クリックすると拡大)。いつもなら棒グラフで示すところですが、6種類のグラフを1つの中に描かなければならないので、折れ線グラフで示しています。今回もいつもと同じべき分布の条件で、試行回数1万回のモンテカルロシミュレーションをしました(末尾にシミュレーションの条件をまとめて示します)。

1

 わかりづらいですが、1万部確実タイトルが増えるに従って、グラフが右に少しずつシフトしています。1万部確実タイトルの数ごとに、各種指標の値がどうなるのかを表にして示します。

                                   
年間発行50点
90%水準286,367,875.46
90%水準/505,727,357.509
下四分位数313,095,634.8
下四分位/506,261,912.697
中央値351,895,379.5
中央値/507,037,907.59
上四分位数40,590,4474.6
上四分位/508,118,089.491

                                   
年間発行50点(うち1点が1万部)
90%水準291,396,531.85
90%水準/505,827,930.637
下四分位数317,087,571.3
下四分位/506,341,751.425
中央値354,450,270.7
中央値/507,089,005.414
上四分位数410,310,911.1
上四分位/508,206,218.221

                                   
年間発行50点(うち2点が1万部)
90%水準294,292,802.23
90%水準/505,885,856.045
下四分位数319,718,632.6
下四分位/506,394,372.653
中央値357,379,045.5
中央値/507,147,580.91
上四分位数413,280,061.6
上四分位/508,265,601.232

                                   
年間発行50点(うち3点が1万部)
90%水準299,289,549.53
90%水準/505,985,790.991
下四分位数322,502,380.9
下四分位/506,450,047.617
中央値359,148,878.6
中央値/507,182,977.573
上四分位数414,194,523.4
上四分位/508,283,890.468

                                   
年間発行50点(うち4点が1万部)
90%水準302,257,052.26
90%水準/506,045,141.045
下四分位数326,836,577.4
下四分位/506,536,731.548
中央値362,365,355.7
中央値/507,247,307.115
上四分位数414,645,495.7
上四分位/508,292,909.914

                                   
年間発行50点(うち5点が1万部)
90%水準305,696,430.7
90%水準/506,113,928.613
下四分位数329,544,178.1
下四分位数/506,590,883.562
中央値365,904,025.9
中央値/507,318,080.518
上四分位数417,180,123.5
上四分位数/508,343,602.47

 これら指標のうち、「90%水準/50」と「下四分位数/50」は売り上げの安定性をはかる大事な指標です。これらが1万部確実タイトルの数によってどのように推移するかをグラフに表してみましょう。

190

 このように、1万部確実タイトルの数が増えるに従い、90%水準が改善されることがわかります。1点増えるごとに、だいたい1%から1.5%の改善が見られます。金額にすると「90%水準」(50で割る前の値のこと)は1点増えるごとに約400万円増加します。

 特筆すべきは、発行タイトル数を増加させた場合との比較です。

 1万部確実タイトルが5点になった場合の「90%水準/50」は6,113,928円ですが、これは、年間発行タイトル数が100点になった場合の「90%水準/n」(nは年間発行タイトル数)である6,131,028円に匹敵する値(前回の議論参照)です!

 つまり、年間50点発行の小規模出版社にとって、1万部確実タイトルが5点あるということは、売り上げ安定性に関して、規模が2倍になったのと同じくらいの効果があることになります。

●「確実タイトル」の規模が大きいほど大幅に改善される

 さらに極端な場合を考えてみましょう。年間発行数50点のうち1点だけ、5万部売れるタイトル(5万部確実タイトル)がある場合です。そのような場合のシミュレーションを行い、求めた売り上げの分布が以下のものです。比較のため、「確実タイトル」がない場合と、1万部確実タイトル5点の場合の分布も一緒に載せてあります。

 

5

 非常に明確に、分布が右にシフトしているのがわかります。この場合の各種指標も、以下に示します。

                                   
 年間発行50点(うち1点が5万部)
90%水準330,700,542
90%水準/506,614,011
下四分位数357,125,214
下四分位数/507,142,504
中央値392,986,484
中央値/507,859,730
上四分位数448,943,709
上四分位数/508,978,874
 

 この場合の90%水準/50は6,614,011万円ですが、この値は年間発行タイトルが200点の時の90%水準/n=6,453,994円(前回参照)よりも大きな値です! 年間50点発行の小規模出版社に、毎年、5万部売り上げ確実タイトルが存在すれば、規模が4倍以上になったのに匹敵するほどの売り上げの安定性が得られることになります。

 本の売り上げが従う、べき分布の不安定性は非常に大きいので、何点かでも安定的な売り上げを稼げるタイトルがあると、売り上げの安定に非常に大きな寄与があることが、以上からわかります。

●安定性だけを追い求めて、小規模な「確実タイトル」を集めると……

 上記の1万部確実タイトルと5万部確実タイトルの比較をしてみると、示唆的なことがわかります。売り上げ安定化のためには、確実タイトルの規模が大きい方がずっと効果が大きいと言うことです。逆に言えば、小規模な確実タイトルを集めるという戦略では、安定性の実現のためにその種のタイトルの比率を極端に高めねばならず、結局、そういう本だけしか出せなくなってしまいます。 書籍出版社の数理2 で指摘したように、数百部単位が大学などで採用される見込みのタイトルばかりを集めて、ほとんどそれだけでラインナップを構成するという方針をどの出版社も採れるわけではありません。
 しかし、その一方で、理工系の大学教科書を作る会社やカルチャーセンターのテキストを作る会社など、それを本業として意義ある本を出そうという出版社が存在できるのは、その方針を貫いて、べき分布の脅威から会社を守っているからなのだと考えられます。

 このように考えていくと、小規模出版社がこれほど多く存続できている理由は、「確実タイトル」により、説明されると考えていいでしょう。新刊でも既刊でも、ある程度確実に売れる見込みのあるタイトルをもっていれば、規模が小さくても売り上げを安定化させることが可能になり、売り上げがつねに「臨界点」を上回るようなシステムを作ることができると考えられます。そして、現在、出版社として維持できている会社は、そのような条件を満たすような、柱となるタイトルをもっているということでしょう。

●「自転車操業」が招く悲劇も解明できる…か?

 書籍出版社は、「自転車操業」といって、どんどんと刊行点数を増やしていかないとお金が回らなくなる事態に陥ることが多いと言われます。
 借金を返すために売り上げを高めなければならず、そのために発行タイトル数を増やす。すると、売れない本が出て赤字が増え、結果的により多くの借金を背負うことになる。その借金を返すために、さらに発行タイトル数を増やす……。このようなスパイラルに陥ることを、自転車操業といいます。このような状態に陥ると、借金が増加するので、出版社が持続していくための「臨界点」の水準も高くなり、より倒産の確率は高くなります。

 経験的に、そのようなことはよく言われていますし、実際に起こっているでしょう。しかし、その裏には、どのような数理があるのか? どのようなことに気をつければ、自転車操業の罠にはまらなくなるのでしょうか? この辺のことも、「基本的に売り上げはべき分布に従う」「しかし、例外的にべき分布に従わない『確実タイトル』が存在する」という2つの条件を考えれば、説明できそうです。次回は、そのことについて考えてみましょう。

*シミュレーションに使ったダミーデータの生成条件

  • 下限3,000部上限200万部で、累積分布関数の指数が1.63のべき分布に従うよう、データをランダムに生成させた(生成させたデータは連続値)。
  • すべての本の価格が1,000円であるとして、上記で生成させた値に1,000をかけた(生成させたデータが連続値だったので、結果は1,000で割り切れるものにはなっていない)。
  • 試行回数は10,000回
  • 「確実タイトル」の売り上げは、単純加算した。たとえば50点中5点が確実タイトルだった場合は、45点分の売り上げをモンテカルロで生成させ、そこに確実タイトル5点分の売り上げを足すことで、年間売り上げを生成させた。

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