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2011年5月23日 (月)

書籍出版社の数理(11)――堅実な出版社が毎年1点だけ冒険的タイトルを刊行した場合

前回のエントリーからすごく時間がたってしまいました。もう忘れて興味を失ってしまった方もいると思いますが、第10回からの続きです。刊行タイトルを増やしてかえって経営が悪化するというのはどういうことかを、単純化した例から考えてみます。

●1タイトルしか本を出さない出版社の90%水準はどのくらいか?
 ここまでは、年間に複数タイトルを出す出版社の90%水準(90%以上の確率で売り上げがその値を上回ると予測される水準)がどのくらいになるか、ということを考えてきました。しかし、逆に1タイトルだけしか出さない場合の90%水準を考えてみましょう。

 単独タイトルでの90%水準は、本の売り上げの分布関数がわかっていれば、解析的に計算できます。

 でも、何度も言ってますけど、書籍出版業界には、ある1冊の本がどのくらいの確率で1万部以上売れるか、あるいは5000部以下の売り上げにとどまるか、というようなことをしめせるような統計が存在しません。ですから、おおざっぱに予測して確率分布を表す関数をでっち上げるしかありません。私がこのブログでの数値計算に使っている関数は、以下のようなものです。

  • 本の売れ部数は下限3,000部上限200万部で、累積分布関数の指数(パレート指数と呼ばれるもの)が1.63のべき分布に従うと考える(扱いやすいようデータは連続値である)。
  • すべての本の価格が1,000円であるとして、上記で生成させた値に1,000をかけた(生成させた数値が連続値なので、結果は1,000で割り切れるものにはならない)。

この1.63という指数がどこから来たものか、今まで申しませんでしたが、これは某書店のPOSデータから月間売り上げ上位のものを抽出し、フィッティングして得たものです。上限値と下限値は、最近の出版界の状況から、経験的に判断し、えいっと適当に設定しました。

 べき分布の累積密度関数を書き下すと、以下のようになります。数式出しますけど、怖がらないでください。

Photo_3
このq(x)が、「x部よりも多く売れる確率」を示します。βはパレート指数(今の場合は1.63)、xminは下限値(今の場合、3000)、xmaxは上限値(今の場合、200万)です。
 さて、この関数から90%水準などいろいろな数値を計算してみました。それは次のような値になります。

90%水準               3,200部
下四分位数             3,579部
中央値                4,590部
下四分位数             7,022部
10%水準              12,319部
5%水準               18,844部
平均値                7,633部
平均値以上を売り上げる確率  21.8%
1万部以上売り上げる確率    14%

と、まあこんな感じです。単行本の出版社にお勤めの方は、この数値をどのようにお考えになるでしょうか。私には、まあ、当たらずといえども遠からずと思えます。たとえば1万部以上売り上げる確率が10%以上20%未満というのは、実感からそう遠くはないのではないでしょうか。

 さて、問題は、安定性の指標となる90%水準です。なんと、3200部。この値は、今どきの出版業界では、もしかしたら高すぎる値かもしれません。初刷り部数が3000部程度の単行本も今や少なくないですから、実際の90%水準はもっと低い可能性があります。

 しかし、「現実世界の話」は少し置いておいて、分布の特性に注目すると、90%水準が理論上の下限値である3000部をわずかに200部上回るだけだというのは、驚くべき低さといえるでしょう。1冊1000円の価格設定で考えると、金額ベースでは320万円です。

 前回の議論で示したように、50点発行の場合は「90%水準/50」をシミュレーションで求めると、約573万円でした。つまり、50点発行の「90%水準/50」は部数ベースでは約5730部ということになり、これは上記の中央値さえ超えています。年間50点発行の出版社だって、これまでの研究でかなり不安定な事がわかっていますが、年間1点だけの出版社は、安定性など求めるべくもないと言うことです。

●これをベースに「刊行点数が増えてかえって経営が悪化する」のからくりを考える

 さて、ここまでの議論をもとに、もうすこし、具体的に考えてみましょう。

 非常に堅実な零細出版社があったとします。彼らは年間に「5000部確実タイトル」を5点出版していたとしましょう。この場合の指標を考えると、売り上げの90%水準も、中央値も、平均値も、5000×1000×5=2500万円です。

 彼らは、ある年、一念発起して、6点目の新刊として確実性のないタイトル(以下「水ものタイトル」と呼ぶ)を刊行したとします。すると、90%水準などの数値はどうなるでしょうか。水ものタイトルは1点だけなので、上記の指標を足し合わせるだけで、「5000部確実タイトル5点+水ものタイトル1点」の場合の各指標を導くことが出来ます。

「5000部確実タイトル5点+水ものタイトル1点」の場合の各指標
90%水準               28,200部→2820万円
下四分位数             28,579部→2857.9万円
中央値                29,590部→2959万円
下四分位数             32,022部→3202.2万円
10%水準              37,319部→3731.9万円
5%水準               43,844部→4384.4万円
平均値                32,633部→3263.3万円
90%水準/6             2820万円/6=470万円

と、このようになります。

 堅実が売り物だった零細出版社が、若社長に代替わりしたりすると、このように急に「水ものタイトル」を毎年出すようになったりします。指標を検討してみましょう。

 水ものタイトルの売り上げ平均は7600部あまりですから、長い目で見れば売り上げ向上に貢献するとは考えられます。平均売り上げは7000部あまり上乗せされるからです。しかし、これは、これまでの議論からおわかりのように、一部の本が例外的に多く売れることによる平均値のつり上げが原因です。

 むしろ、売り上げの安定性という意味では経営は悪化してしまうのです。5000部確実タイトルよりも多く「水もの」が売れる確率は、50%以下です(「水もの」の中央値は5000部未満なので)。すなわち、ほとんどの年度で、「水もの」なんかに手を出さない方がよかったという結果になるのです。重要な経営指標である90%/nの値は、以前の500万円から470万円に悪化してしまいます。

 これが、前回言いました「出版点数を増やしてかえって経営が悪化する」ということの基本的なからくりです。安定タイトルを積み重ねて地道にやってきたのに、そこに水ものタイトルを増やすと、せっかく上昇した90%水準/nが低下して、収益性が悪くなってしまうのです。一生懸命働いて貧乏になる、「骨折り損のくたびれもうけ」の好例ですね。悲しいですね。

 じゃあ、堅実が売り物の零細出版社は、ずっとこのままでいるしかないのでしょうか。会社が大きく成長するための方策は、ないのでしょうか。

 そんなことは、ないはずなんです。世の中にあるそこそこの規模まで成長した出版社が、全部、運の良さだけで成長した訳じゃないはずです。ちゃんとした長期的な戦略があれば、着実にに成長させていくことも出来るはずなんです。

 次回にさらに続きます。

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