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« 書籍出版社の数理(12)――零細書籍出版社が規模拡大する、たった一つの確実な方法 | トップページ | 書籍出版社の数理(14)――何を目的として、値段をつけるべきか? »

2011年6月21日 (火)

書籍出版社の数理(13)――中小出版社の成長戦略はどうあるべきか

発行点数が増えるほど、経営の安定性は増していく

 今回は零細出版社(年刊出版点数15 点未満)を卒業して、中小出版社となった書籍出版社が、「確実タイトル」を使ってより安定した経営や、さらなる成長をめざす場合にどうしたらよいのかを考えます。具体的には、タイトル数を増やしていった場合に90%水準がどう変動するかを詳しく見たいのです。

 今回もいつもと同じように本の売り上げ分布はべき分布に従うとし、いつもと同じ条件でシミュレーションします。本の価格もすべて1000円だとします。

毎回言ってますが、90%水準とは、シミュレーションの結果、90%の確率でそれ以上の年間売り上げが得られると予測される金額のことです。90%水準/nとは、年間売り上げの90%水準をそのときの発行タイトル数で割ったものです。理論上、1タイトルあたりのコストがこの値を上回ると、10%の確率で赤字になることになります。

 まず、出版点数を増やしていったときの90%水準/nの値を考えてみましょう。これは以前、「書籍出版社の数理(10)――じゃあ小規模書籍出版社はどうすればいいの?」で表示したのと同じデータです。下のグラフをご覧ください。

90

90%水準/nは、発行点数50点で570万円程度、100点で620万円程度です。

中小出版社(発行タイトル15点以上)にとって、5000部確実タイトルは意味を持たない

 前回の議論で、発行タイトル数が15点程度になってくると、5000部確実タイトルがいくつかあったとしても、90%水準/nの値にはほとんど影響がなくなると指摘しました。年間15点くらいの規模になると、5000部規模の確実タイトルを作るよりも、「水ものタイトル」を1点多く出した方が経営の安定に資するということです。今回の議論でも明らかなように、この傾向は、nの値が増加するにしたがってより顕著になってくるので、規模の小さい確実タイトルの魅力は急激に低下し、1点でも多くの水ものタイトルを出そうというインセンティブがどんどん高まることになります。

 では、確実タイトルの開発には意味がないのでしょうか。まあ、確実タイトルとして、そのときの90%水準/nと同程度の規模のものを作っても、意味がないとはいえるでしょう。それくらいなら、1点でも多くの水ものタイトルを出す方がいいのです。

 でも、1点増のときの90%水準改善は漸近的に売り上げ分布の平均値、本シミュレーションの場合は約763万円(約7630冊の売り上げに相当)に近づいていき、これを超えることはありません。ということは、この平均値を十分上回るような規模の確実タイトルなら、意味があるということです。

 中小規模の出版社の場合、だいたい1万部規模の確実タイトルであれば、意味がありそうなことは、「書籍出版社の数理(10)――じゃあ小規模書籍出版社はどうすればいいの?」で述べたとおりです。できれば、もっと大きく5万部程度の規模があればいうことがありません。年間50点発行の小規模出版社に、毎年、5万部売り上げ確実タイトルが存在すれば、規模が4倍以上になったのに匹敵するほどの90%水準/nとすることが出来るからです。

 しかし、ここである疑問が浮かびます。

大規模な確実タイトルもっている中小出版社がタイトル数を増大させると、安定性は低下するか?――答えはNO

 思い出してほしいのですが、前回見たように、零細出版社が5000部確実タイトルからスタートして、タイトル数を増加していったとき、一時的に90%水準/nの値がかなり落ち込みました。中規模出版社でも同じようなことは起こるのでしょうか。

 たとえば、年間50点発行の中規模出版社が、毎年発行できる5万部確実タイトルを開発したとします。その会社は翌年もその5万部確実タイトルを出しつつ、調子に乗って一方で水ものタイトルの発行点数を増加させ、規模拡大を試みたとしましょう。この場合、この出版社は90%水準/nの落ち込みを経験するでしょうか。急激に落ち込むのだとすれば、規模拡大なんかしないで、5万部確実タイトルの恩恵を受けていた方がいいことになります。

 これを検証するためのシミュレーションも行いました。結果が以下のグラフです。

590n

 縦軸が90%水準/n、横軸は発行タイトル数。上の青い線が5万部確実タイトルがある場合の90%水準/nのタイトル数増にともなう変化、下の茶色い線は、確実タイトルがない場合です。

 確実タイトルのない50タイトル発行の中規模出版社が、あるとき毎年発行できる5万部確実タイトルを開発できたとします。この状況は、下の茶色い線から、上の青い線への「遷移」と考えられます。グラフの「50タイトル発行」の位置を読み取ると、90%水準/nは約570万円から約660万円へと大幅に改善することがわかります。

 そしてその状態からタイトル数を増やすことは、青い線を右側にたどっていくことに相当しますが、ご覧の通り、90%水準/nはほとんど減らないのです。さらに、5万部確実タイトルをもっていることの優位性は、発行タイトル数が150を超えても、まだ明確に存在し続けることがわかります。

 よって、50タイトル発行の中規模出版社の場合、5万部確実タイトルの開発が、規模拡大のインセンティブを弱めることにはならないのです!

でも、規模縮小=「選択と集中」というインセンティブは生じる…

 でも、もう一方で、「悪魔のささやき」のような負のインセンティブが発生する可能性があります。5万部確実タイトルがある場合、タイトル数を増やしたところで90%水準/nは増加するというわけでもなく、ほぼ横ばいです。もっとよく見ると、青いグラフの左側で、90%水準/nは発行点数が少ない方が大きくなっています。

 こうなると、経営陣は利益追求のためにタイトル数を減らしたくなるかもしれません。経営的な言葉を使えば、「選択と集中」を行って、確実タイトルに特化し、それ以外の「水ものタイトル」をリストラするということです。実際に、発行点数を減らしていったらどうなるか、タイトル数が少ない方のプロットを見てみましょう。

590n10

このグラフを見ればわかるように、もし5万部確実タイトルを維持したまま発行点数を10タイトルまで減らせば、90%水準/nは900万円超まで増加するのです。儲かるタイトルが出来たら、社員をリストラして、少ない人数で分かち合った方がいい、ということかもしれません。

 しかし、これは経営の安定につながる行為でしょうか。

 もし、この5万部確実タイトルが永遠に発行可能で、どんな状況の下でも本当に確実に5万部売れるのであれば、ほかのタイトルなんかやめてしまってもかまわないかもしれません。でも、そんなことはあり得ません。あるとき売れていたものでも、何らかの理由で出せなくなったり、売れなくなってしまうことはよくあります。そうなって、5万部確実タイトルが出せなくなったら、売り上げの低下は非常に大きく、発行タイトル数が10点程度なら、このショックにはとうてい耐えられないでしょう。

 そうではなくて、5万部確実タイトルで得た経営の安定性を利用し、ある程度人員などを補充、発行点数を増やしていければ、将来、この5万部確実タイトルが何らかの理由でなくなってしまっても、90%水準/nをある程度の大きさに保つことができ、ショックに耐えることが出来るでしょう。このように、タイトル数をある程度まで増やしておくことで、安定性を確保することは、やはり意味のあることだと思われます。

タイトル数を増やすことの意味をもう少し考える

 ここまでで、もう、だいたい、いいたいことは終わっているのですけれど、せっかくなので、タイトル数を増やすことにどういう意味があるかを、もう少し考えてみましょう。

 上の方のグラフで見たように、90%水準/nは、発行点数50点で570万円程度になります。しかし、このことから、50タイトル刊行の出版社が51タイトル出したら、90%水準が570万円増える、と結論することは出来ないんです。よく考えるとわかりますけど、ここがややこしいところです。1タイトル余分に出すことの効果は、90%水準/nよりも結構大きいんです。

 中小出版社があるとして、その出版社が規模拡大を狙って1タイトル、普段の年より多く刊行した場合、90%水準はどのくらい増えるか。すなわち、nタイトル発行の出版社がn+1タイトル発行した場合、90%水準はどのくらい上がるか、ということです。それを調べたのが、下のグラフです。

190

このグラフが何を意味しているかというと、たとえば、横軸10のところの値は、

[11タイトル発行の場合の90%水準]-[10タイトル発行の場合の90%水準]

を示しています※。ちょっとでこぼこしていますけど、あまり気にしないでください。

 このグラフを見るとわかるように、50タイトルの場合のタイトル1点増の効果は、620万円超となり、50タイトルの90%水準/n(=570万円程度)よりもずっと大きな値になります。「90%水準/nの増加」よりも、「90%水準の増加」はずっと大きいんです。これは、nが小さいときは90% 水準の値が小さく、nが大きくなるにつれ、中心極限定理の効果により急速に90%水準が増大していくからです。nで割って平均化することで、中心極限定理 の効果が薄まってしまうんです。

 つまり、nが大きくなればなるほど、n+1の場合の90%水準の改善幅は大きくなります。この改善幅は理論的には、中心極限定理により、本の売り上げ分布の平均値である約763万円(「書籍出版社の数理(11)――堅実な出版社が毎年1点だけ冒険的タイトルを刊行した場合」を参照のこと)に漸近的に近づいていくと考えられます。

 5万部確実タイトルをもった出版社がタイトル数を増加させても、90%水準/nは低下しない理由も、ここにあります。nがある程度大きければ、1タイトル増による90%水準の改善効果はそのときの90%水準/nを大きく上回る。だから、5万部確実タイトルをもった出版社がタイトル数を増加させても、90%水準/nは低下しないんです。

 もうひとつ検討したいのは、「じゃあ、何でもかんでも、たくさんタイトルを出せばいいのか」ということです。まあ、当然、そんなことはないと思います。粗製濫造がひどくなれば、「売り上げ分布」も仮定していたものより悪化してしまうでしょう。それぞれの出版社が工夫を凝らし、適正な範囲でちゃんとした本を作って、その中で売れる本があったり売れない本があったりする。その分布が市場で観測される「売り上げ分布」で、本ブログではそれを再現するような関数を使ってシミュレーションを行ってきました。売れるように本を作るのは、難しいですし、運が必要ですが、売れないように本を作るのは簡単ですし、確実に出来ます。とうぜん、両者の間には、明確に違う売り上げ分布が観測されるはずです。発行点数増を強く意識過ぎて、あまり無理をすると、かえって痛い目を見ることになるでしょう。まあ、これは数理ではなくて、あくまで業界人の勘ですけれど。

次回は本の定価の決定の仕方について考えます。

 さて、今回までで、べき分布の市場と経営の安定性という視点からは、言いたいことは言い尽くしたように思います。次回は、本の「定価」について考えます。

 本の価格は、日本では「定価」として出版社が決めていいことになっています(独占禁止法の例外として認められています)。しかし、出版社がこの定価を決める際のやり方は、多くの場合、勘に頼ったり、もしくは恣意的に決めたルールにしたがっています。非常に、非合理的なんです。これを合理的に行い、最適な定価をつける方法はないでしょうか?

 次回は、そもそも、「定価」で販売することのメリットとデメリットから解説し、最適な「定価」とは何か、それを決定する方法はあるのかを考え、私の試みとその失敗について、お話ししたいと思います。

 

※少しテクニカルな話になりますが、シミュレーションは乱数を使って行うため、90%水準は数値計算を実行するたびに値にばらつきが出ます。経験的には、1万回試行で90%水準を求めると、だいたいプラスマイナス3%程度揺らぐようです。上の「1タイトル増による90%水準の増加」を求める際には、2つの90%水準の計算結果の差を取るので、最大でこの揺らぎが2倍に増幅される可能性があります。この増幅を考えに入れると、それぞれの90%水準を揺らぎが半分程度になるように、正確に求める必要があります。
そのため、いつもならそれぞれ1万回の試行で値を求めるところ、このグラフ作成に当たっては100万回の試行を行い、90%水準をより正確に求めました(計算にはすごく時間がかかりました)。しかしそれでも、60タイトルや70タイトルの場合の「90%水準の増分」には揺らぎが見られますね。

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