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2011年6月11日 (土)

書籍出版社の数理(12)――零細書籍出版社が規模拡大する、たった一つの確実な方法

●確実タイトルがなかったら、出版社としてスタートできない

 前回、5000部確実タイトルが5本ある零細出版社が確実性のない「水ものタイトル」を出すと、経営が悪化する簡単な数理を、示しました。これをヒントに、零細出版社の成長戦略を考えてみます。

 零細出版社の場合、確実タイトルがまったくなければ、まずもって出版社として長期的に存在することが出来ません。下のグラフは、確実タイトルがない出版社が、タイトル数を増やすに従って「90%水準/n」の値がどう変わるかを示したモノです(今回も、これまでと同じ条件でシミュレーションを行っています。本の価格もいつもと同様、1冊1000円と考えます)。縦軸が90%水準/nの金額、横軸は年間発行タイトル数です。

 基本的に書籍出版社のコストは発行タイトル数に比例すると考えられるので、90%水準(90%の確率でこの値よりも売り上げが多くなるとモンテカルロシミュレーションから予測される水準)を発行点数nで割った数値が経営の指標となります。

90n

 ごらんのように、確実タイトルがまったくないと、90%水準/nはわずか320万円から出発しなければならず、かなり苦しい状況です。第9回で示したように、年間50タイトル発行ならば90%水準/nは570万円を超えますから、その場合と同じようなコスト体質でやると、まったく成立しません。もし、確実タイトルがなくて、年間1タイトル発行の出版社としてスタートすると、ほぼ確実に会社はうまくいきません。呼吸せずに生きるようなモノです。確実タイトルがないならば、最初の段階で資金と企画をたくさん用意し、初年にせめて15点くらいは出さないとスタートを切ることさえ厳しいでしょう。数理的にはその方が、「安全策」のつもりで年間2~3点からスタートするより安全です。点数が増えていけば、90%水準/nは最初のうちかなり急激に上昇するからです。

 しかし、用意すべき資金量や人材の観点から、いきなりある程度の規模でスタートするのは相当に難しいはずで、それだけ資金的にも人材的にも恵まれた形で事業をスタートできる人はほとんどいないでしょう。

●確実タイトルがあれば、安心して事業を拡大できるか?

 では次に、5000部確実タイトルが1点ある状態から、事業拡大を目指す例を考えてみましょう。出版社として事業を開始する際、とにかく確実に5000部売れて毎年作れるタイトルを1本用意して、ミニマルなところから事業をスタート、徐々に出版点数を増やしていくというモデルです。その場合の90%水準/nの推移を示したのが以下のグラフです。

50001

 5000部確実タイトルだけを出していれば、売り上げは、平均値も中央値も90%水準/nもすべてが500万円です。そこに確実性のない「水ものタイトル」を加えて発行していくと、急激に90%水準/nは悪化し、さらに発行点数が増えるにつれて徐々に回復していきます。この「谷」の深さはかなり強烈ですが、出版点数が2~3点の場合に見られる最低値でも、400万円程度ですから、確実タイトルがない場合に320万円からスタートしなければならなかったことを考えると、かなりの改善といえます。

 では、もう少し安全策をとって、5000部確実タイトルが2つある状態から事業拡大を目指す零細出版社はどうでしょう。その場合の90%水準/nの変動を示したのが以下のグラフです。

 50002

 見た目にも「谷」は浅くなり、発行点数が合計4点の時に見られる最低点でも430万円弱ですから、改善されています。

 では、もっとたくさん、5000部確実タイトルがあったらどうでしょうか。それを示しているのが下のグラフです。このグラフの横軸の数値は年間発行タイトルの合計ではなく、「水ものタイトル」の数です。このほかに、確実タイトルを出しています(確実タイトル3点のグラフの横軸が3の位置では、合計6点出している)。縦軸はこれまで同様、90%水準/n、つまり年間発行タイトル数n(確実タイトルと水ものタイトルを合わせた数)で90%水準を割った値です。

 5000

このように、最初にもっている確実タイトルの数が多いほど、「谷」は浅くなり、より安全に規模拡大が出来ることがわかります。

●大事なのは「コストのコントロール」と「素早い事業拡大」

 以上のことから、零細出版社が安全に規模拡大を行おうとするならば、ごく初期の段階で「確実タイトル」が必要であることがわかります。それをせずに規模拡大が出来るのは、最初から資金力と人材に恵まれた人か、よほど運がよい人に限られます。

 規模拡大で問題なのは、拡大の過程で経験する「90%水準/n」の最低値がどのくらいかを見積もり、それを乗り切れるくらいに経営をスリム化しておくということでしょう。5000部確実タイトルを5本もっていても、それで経営的にプラスマイナスゼロになるような状態では、「水ものタイトル」を出すことは出来ません。水ものタイトルを新たに発行する過程で、必ず90%水準/nは悪化するからです(運がよければ、実際の売り上げを発行点数で割ったモノは悪化しないかもしれませんが、それは僥倖に過ぎません)。そのときもっている「確実タイトル」の規模と、規模拡大の過程で生じるコスト増の予測をにらみながら、90%水準/nの悪化を織り込んで計画を立てる必要があるのです。

 さらには、なるべく「谷底」を素早く通過することも大切です。初期の事業拡大のペースが遅い場合、谷底にとどまる期間が長くなり、赤字が膨らむ可能性は高まるからです。グラフを見ればわかるように、5000部確実タイトルがいくつかある場合に水ものタイトルを2~3点発行するというのが、一番よくありません。規模としては編集者が1人か2人くらいの時でしょう。この規模のままの状態で拡大しないでいるのは、一見安全策のようでいて非常に危険と考えられます。となると、確実タイトルしかない最初の状態の時に、ある程度財務内容もよくしておいて、一気に規模拡大できる準備をしておくことが必要だと言うことでしょう。

●規模が拡大するに従って、規模の小さい確実タイトルでは貢献できなくなる

 さらに、グラフの形をよく見てみると、「水ものタイトル」の数が15点程度になると、最初に5000部タイトルがいくつあったかは、経営の安定性にあまり関係なくなってしまう、ということもわかります。90%水準/nは収斂し、ほぼ同じになってしまうからです。これも第9回に示したように、「水ものタイトル」であっても発行点数が増えると90%水準/nは増加していきますが、15点程度でこれが500万円、すなわち5000部確実タイトルの売り上げ値に等しくなってしまうからです。さらに増加させると、90%水準/nの値は500万円を超えてしまうので、そのころには5000部確実タイトルの存在はかえって売り上げの足を引っ張ることになってしまいます。

 考えてみれば、これは非常に奇妙なことです。前回みたように、それぞれの「水ものタイトル」の売り上げ分布の中央値は470万円くらいで、つまり売り上げが500万円を超える確率は半分以下です。それでも、発行点数が15点を超えるくらいからは、確実な500万円の売り上げを目指すより、新たに水ものタイトルを出した方が経営の安定に資するようになり始めるのです(あくまで90%水準を指標に考えた場合で、95%水準や99%水準を指標と考える場合は別の結論になる可能性がありますが)。

 こうなると、ある程度、規模の大きな出版社になると、「小さな確実タイトルを出すより、水ものタイトルを1点でも多く出した方が経営の安定にはよい」ということになり、より多くのタイトルを出すインセンティブが高まっていくことになりそうです。

 しかし、毎年n点のタイトルを発行している出版社が、n+1点出すようになったら、90%水準はどの程度改善するのでしょうか。次回はそのあたりを出発点に、「零細出版社」を卒業した中小出版社が、さらに成長するためにはどうすればいいかを、改めて考えてみましょう。

 

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コメント

kfkf様、ご覧いただきありがとうございます。なんか、ベキ分布と売り上げ安定の話もディープになりすぎてきたので、次々回あたりから、別の話題にするつもりです。そちらも面白いと思いますので是非ご覧ください。

うちは出版業界とは全然関係ないけど、ストーリーの建て方がとても参考になります。

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